こんにちは、こんばんは
今日は自分の悪い事を書いていこうと思います。
それは
反芻です。
心理学用語らしいですね。
嫌な事を何度も何度も思い出す事らしいです。
忘れる事は、人間にとってとても大事な事です。
しかし反芻はそれをゆるしません。
悪かった出来事を繰り返し思い出し、何度も反芻することによって、再び脳みそに刻み込みます。
忘れたいのに忘れられないという事です。
実際はメモリーに記憶させる時に、書き換えがあるそうですが、僕には難しいし、専門職ではないので詳細は省きます。
実はさっきまでこれによって、嫌な思いをしていました。
今もストレスで頭が混乱しています。
滅多にない暴力衝動が起きそうにもなりました。
なんでこんな目に合わないとならないのだろうか?
過去にあった出来事、嫌な人間関係、それらによるストレス、楽しくない毎日が思い出されました。
悔しくて、悔しくてしょうがないです。
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アドラー心理学にはトラウマは存在しないとあります。
変わりたくない自分に正当な理由をつけて、変わらない自分を、その現状を維持しようとする働きがある・・・としています。
人間は現状を維持しようとする、けっして変わりたくはないのだ
そんな事はない。
少なくとも今の僕は変わりたくて転職も含めた行動をしているのだ。
ぜったいに変わってみせるのだ!という強い意思が僕の中にしっかりと存在するのだ。
絶対に治してみせる。
アドラー心理学ではこうも言っている
自分は今日から変われるのだ
それは自分次第なのだと
俯瞰で見てみよう
僕は何が楽しくて嫌な過去や嫌な人間関係をいつまでも思い出し、それを脳に刻み続けるのだろうか?
どうしてその自分のダメな現状を維持しようとするのだろうか?
承認欲求だろうか?
誰かに構ってもらいたいのだろうか?
誰かに慰めて欲しいのだろうか?
誰かに同情してもらいたいのだろうか?
誰かに対して復讐する気があるのだろうか?
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もっと俯瞰で見てみよう
すべての悩みは人間関係からくるともアドラー心理学ではあります。
その人間関係と自分はどうなのか?
僕は人間関係の構築、維持は小さい時から得意ではなかった。
心を開けないからであろう。
両親や家族、友達に心を開いた事があるだろうか?
無い。
ひねくれている、ひねくれていた。
人と違う事に喜びを感じていた。
1人でいる事が多かった。
たぶん、これからも家族を除けば、1人でいる事を好むであろう。
そのほうがストレスが少ないのだ。しかも楽しくてしょうがない。
では何に喜びを感じるのだろうか?
嫌な事を思い出す時間を作り出さない方法は無いのだろうか?
それはあるはずだ
- マインドフルネス
- アドラー心理学の復習
- 今を一生懸命に生きる。未来に生きないし、過去にも生きていないのだ。
- 家族を大切にする
- 自分にとって大事な人たちを大事にする
- 嫌な人とは合わない
- やらなくて良い、嫌いな事はしない
- お酒を始めとする、簡単に手に入る快楽に手を出さない
これで足りるだろうか?
いや、足らすのだ。これで解決まで持っていってみせる。
マインドフルネスで体内の正常化と脳内の嫌な事をスルーをする力と方法を身につけて、今の自分の生活と大切な物に一生懸命になって生きていくのだ。
嫌な事を思い出す暇を無くせば良いはずなのだ。
家族を大切にして、仕事仲間を大事にして、レスリングやランニングに一生懸命になってかつ、
嫌な人間とは極力合わないようにすればいいのだ。
全力で嫌な奴から逃げれば良いのだ。
最大限の攻撃と最大限の防御である
変わろう!変われるはずだ!今から、変わろう。
自分の人生は自分が主役なんだから、過去の嫌な事に振り回されてどうするというのだ?
今日の今を全力で生きて、嫌な事は忘れる。忘れられないのであれば、今後の糧とする。踏み台にして駆け上がるのだ。
どうしようもない、しょうもない、嫌な過去と決別し今を生きる
がんばれ俺
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