EP3 1週間後 家 1997年 7月
ここで良い?っていうか、ここしか空いてなくて他を紹介してあげられないんだけどね』
まどかさんに連れられてフラットを探しにきた。閑静とは言い難い少し町寄りの住宅地で、いわゆる長屋みたいなところだった。1つの敷地内に4棟の家があり、それぞれ5〜8人づつ暮らしていたので、結構な数になるらしかった。
『ここならシティーに近い、歩いていける。どこで仕事ができるかわからないけれど、大通りに出てしまえばバスも複数選べれるわ。便利だと思うけれど。住んでいる人に日本人もいるけれど、基本的には多国籍よ。英語の勉強にいいんじゃない?』
まどかさんはかわいい白い八重歯をみせてそう言った。僕はここでいいと言った。だってそう言うしかない(笑)。他に選択肢はないって最初に言ったのはまどかさんじゃん。そう思いながら建物をながめた。築何年なんだろう?日本ではあまり見ない作りの家。クリーム色に塗られ、積み上げられたブロックの壁、緑の屋根がついていた。
『家賃は週に120ドル、大家が取りに来るから現金を用意しておくように。大家さんの名前はデイビッド。見た目はお爺ちゃんだけど結構若いの。この辺りに複数件の家や不動産を持っていて、地元じゃ有名みたい。それじゃあ、私は行くわね。バ〜イ!』
忙しいらしいまどかさんは足早に去っていった。可愛い人だなと懲りずに思った。15歳くらい年上だからもちろん恋愛対象ではないけれど。
紹介された部屋は6畳もない部屋でベッド、タンス、小さなデスクがあった。必要最低限というのはこういうものなんだろうな。十分だ。そう自分に言い聞かせた。遊びでワーホリに来たわけじゃない。何かを掴みに来たのだ。自分を変えるために海外に来たのだ。デスクで勉強ができる。小さなデスクライトもつけてくれている、申し分ない。僕はバックパックから辞書と英会話の本数冊をその机に丁寧に置いた。1年で英語をモノにするためにどのように勉強をしていったら良いのか考えながら今度は衣服を箪笥の中にしまっていった。とりあえず1週間は凌げる量の服はあるなそう思いながらベッドに横たわった。そしてしばらく夢想しているとある重要なことに気づいた。
食べるものも飲むものもない
一人で爆笑しながら急いで地図を開いた。探検するのだ。まずはスーパーを探し、食料品を買わねばならない。洗濯洗剤もいるよな?あとはなんだ?なんだかワクワクしてきた。確実に着実に前進している。僕は前進しているのだ。笑いながら部屋の戸締りを確認し、フラットを出た。
『スーパーマーケットはどこだ? 観念しろ!』
と、訳のわからない雄叫びをあげながら歩いていった。
散々歩き回ってやっと見つけたスーパーだったが、実際には家からそう遠くないところにあった。地図にスーパーの記載がなく、会社名が載っていただけだったので分からなかったのだ。店頭に入ると先ずは野菜とフルーツのコーナーがあった。日本と共通の野菜もあれば見たことのないカラフルなフルーツもあった。どれも新鮮でおいしそうだった。そして大ぶりだった。ナスもきゅうりもとにかく大きい。こんなに大きくて美味しいのかな?と思いながら自炊のメニューを思考しながら見て回った。
小一時間ほどスーパーで買い物をし、大量の荷物を抱えフラットに帰ってくると日本人らしき人がリビングでくつろいでいた。
『こんにちは』
日本語で挨拶されてびっくりしたが、直ぐに気を取り直して挨拶を返した。
『ナオミです。大阪出身。部屋は2階、よろしくね』
『ケンヂです。よろしくお願いします。色々教えてください』
ナオミさんに洗濯の仕方、干すときのルールとか、ゴミの日、捨て方、共同使用のトイレや台所などの掃除当番について教えてもらった。ナオミさんは29歳だと言っていた。
『ギリホリなの。年齢制限ギリギリでワーホリに来るって言う意味ね。失礼しちゃうけど、その通り。日本でパティシエをやっていたんだけど、このまま歳をとっていくのかな?って思うと怖くなっちゃってね。それで辞めてワーホリできちゃった。まぁ、この職種上、日本に帰っても仕事は見つけやすいと思ったしね』
ナオミさんは170cmは超えるだろう長身の持ち主で、ヨーロッパ人と比べても背の高い人だった。ショートでストレートの黒髪にとても大きな輪っかのピアスをぶら下げていて、遠目で見ても目立つ容姿をしていた。
『私はね、シティーにあるジャパレスで働いているの。包丁は使えるし、もちろんデザートはお手のものだから、一般的なワーホリよりも良い給料を貰っているのよ。日本語環境が玉に瑕だけどね。こう見えても期待されていて、会社から労働ビザを取らないかって打診されているのよ』
ナオミさんは関西出身だからか、とても饒舌で話し出したら止まらないみたいだった。ワーホリを楽しむコツを延々と語っていた。楽しく明るい人で良かった。小一時間ほどおしゃべりを楽しんだ後、勉強するために部屋に戻った。絶対にこのチャンスをモノにするんだ。