エピソード2 地獄
1993年 12月 16歳
『なんだ、またアイツかよ』
『くせー』
『くせーんだよ、まじ学校やめてくれよ』
同級生たちが話しているのが聞こえる。僕のことだ。辛い。本当に辛い。
過敏性大腸炎、または過敏性大腸症。
僕が診断された病名だ。強いストレスを受けると下痢が止まらなくなる。場所も選ばない。そして僕にとってのストレスとは学校であり、クラスメイトだった。
クラスメイトの笑い声が聞こえる、自分のことを話しているのではないのかと疑心暗鬼になって聞き耳を立てる。不安になる。今日も下腹部が痛い。肛門に力が入る。でも下痢が出てくる。容赦ない。
死んだ方がマシだ。
16歳という思春期真っ只中の少年にとって、本当にキツすぎる病気だった。毎日死ぬことを考えた。学校を辞めることを考えた。でも両親の顔を思い浮かべると学校を辞めるという選択肢はなかった。いや、嘘だ。勇気がなかったんだ。死ぬ勇気も学校を辞める勇気もなかっただけだ。
毎日下を向いて登校した。毎日下を向いて授業を受けた。そして毎日下を向いて下校した。毎日、毎日ストレスと下痢との戦いだった。もちろん少なくない数の病院に行って精密検査を受けた。あたりまえだが、何も出てきやしなかった。悪いところなんてあるはずがないのだ。悪いのは心の弱さだ。今思えば中学の時は謎の腹痛に悩まされた時期があった。あの時は強い痛みだけで、下痢の症状はなかった。いまよりマシだったんだと思う。病院へは両親が付き添いをしてくれた。あきらかに落胆しているのが分かる。申し訳なかった。
学校を休むことが多くなった。その方が楽だし、勉強は家でやった方が成績が良かった。それで両親は少しは安心したのだろう。学校に通ってくれとはあまり言われなかった。
後悔がよぎる。どうしてこの学校を選んだんだろう?家から近いから、という理由で選んだ。失敗だった。学力の高くない、3流の公立進学校だった。生徒の殆どが人生をナメていて、勉強なんかせず、卒業後は専門学校に進学するという具合だ。まわりが勉強しないやつが多かったおかげで、普通にしていればとても良い成績を収めることができた。なので最初のうちは満足していた。このままテストの成績が良ければ、指定校推薦などで2流の大学に入れるだろう、そんな計算があった。そしてそれで満足だった。
歯車が噛み合わなくなったのはクラスが学級崩壊寸前のところまでいったことだった。大きな声でクラスメイト達が騒ぐ、授業なんて聞いてやしない、老年の先生がうんざりした顔で怒鳴る。一瞬静かになるが、またうるさくなる、ひどい時はどんちゃん騒ぎだ。初めは頭痛だった。頭が割れそうだった。それがしばらく続いた後、胃腸にストレスがくるようになった。クラスの喧騒に比例して吐き気がし、そして下した。トイレに間に合わないこともあった。
本当に惨めだった
なぜ僕が?
どうして授業を真面目に熱心に受けていた僕が?
毎日腹痛との戦い、クラスメイトの冷ややかな目、どんどん孤立していく。
どんどん孤立していく。
死にたい。死にたい。死にたい。
心を殺すことを覚えた。何があっても反応しないようにした。僕は仮面を持っている。その仮面を被ると何も感じなくなる。人と話すこともしなくていいのだ。僕は地中に穴を深く掘って、その中に潜み、仮面を被って一点を凝視する。僕の目は一点を凝視する。その他のものは見なくても良いのだ。僕の耳は遠くにいるモグラの穴掘りの音を聴いている。ガサッ、ガサッと穴を掘る音聞こえる。その他の音は聞こえない。聞かなくても良いのだ。僕は仮面を被る。地中深くに穴を掘ってそこに潜む。誰も僕を見つけることはできない。